自然とともに生きる日之影町

日之影町は高千穂に隣接し、宮崎県西臼杵郡の東部に位置する山村である。大小の河川が周囲の深山から山を削りながら流れ、深いV字形の渓谷を形成している町で、川魚漁が盛んに行われ伝えられた。また、山の斜面を活用した棚田の景観も見事であり、農業や林業で暮らしを支えきた。平成27年12月には、伝統的な農業・農法とそれによって生まれた文化や土地景観、生物多様性に富んだ世界的重要な地域として、日之影町を含む高千穂郷・椎葉山地域が「世界農業遺産」に認定され、また平成29年6月には宮崎県と大分県にまたがる祖母・傾・大崩山系がユネスコエコパークに登録された。この大自然とともに暮らしてきた人々の知恵と風景が世界的に評価されたのである。

日之影町の竹細工とは

日本の竹細工の歴史は縄文時代にさかのぼる。稲作が伝わったことで生活様式が変わった弥生時代には、石器などの道具を用いて身近にあった竹を割ったり削ったりした加工品づくりが本格化したと考えられる。
日本の竹を代表するのは、「マダケ」「モウソウチク」「ハチク」の三種で、日之影町では主に、強靭で弾力性に優れている「マダケ」が竹細工に使用されている。
日之影町の竹細工は、生活用品や農業や漁業で使用する仕事道具として作られており、各家庭、各々が自分の手で作っていた。「かるい」を作る人は集落に2,3人ほどいたが、「箕(み)」や「米あげじょうけ(飯籠)」などの細やかな技術を必要とする道具は職人の技術が必要で、桶屋や石屋や鍛冶屋等と同様に竹細工の職人としての仕事が確立し、誇りをもって職人の技を磨いてきたのである。

日之影町の竹細工の歩み

激動の時代とともに竹細工の需要も変化した。竹細工職人は徐々に人数が減り、戦後は約45名にまで減少したものの、日之影町の生活にはまだまだ竹細工が必要とされていた。しかし、ビニール製の安価な籠やプラスチック製の用具が流通すると需要も減り、1999年の「日之影町竹工芸保存会会員名簿」(日之影町史 10 別編二】p142)には23名が記されている。
 
一方、そのような逆境を意に介さず、使い易さや丈夫さ、美しさを究極まで高め続ける傑出した職人がいた。飯干五男氏、廣島一夫氏である。
1969年に飯干五男氏が日本民芸公募展に「かるい」を出品し、伝統技術優秀賞受賞したことで、民芸協会の月刊誌の表紙を飾り全国に日之影町の「かるい」が紹介される。同時に同氏は全国民芸協会に名を連ねて「かるい」名人として知られるようになる。5年連続で受賞し、1984年には宮崎県伝統工芸士に認定された。
 
1982年、全国に名を知られる飯干五男氏をきっかけに、ニューヨークのジャパン・ソサエティの南日本旅行団一行30名が日之影町を訪れ、廣島一夫氏も竹細工の製作を実演。同氏も1984年に宮崎県伝統工芸士に認定される。
竹細工作品 かるい
かるい
左:ルイーズコート先生、右:廣島さん
左:ルイーズコート氏、右:廣島一夫氏
一方、両氏の名と日之影町の竹細工の素晴らしさを世に伝え、世界へ広める活動を行ったのが中村憲治氏である。ニューヨークからの旅行団来訪で案内役をつとめた事をきっかけに、当時の旅団長であったスミソニアン協会のルイーズ・コート氏や関係各所に働きかける。また、竹細工職人へ作品制作依頼や以前制作した道具を持ち主から借りるなどして収集活動を精力的に行った。
 
そして、1988年スミソニアン協会国立自然史博物館文化人類学科に、「およそ100点の日本の伝統的な竹細工とその製作道具一式」として収蔵されたのである。その他、イギリスの大英博物館、宮崎県博物館にも日之影町の竹細工が収蔵されている。
1992年、廣島一夫氏が国の卓越した技能者表彰「現代の名工」を受賞。
1994-95年、スミソニアン協会サックラー美術館で「日本の田舎のかご職人展」を開催。
1995年、スミソニアン協会サックラー美術館で竹とんぼ制作実演のため、竹細工職人が渡米し実演を行う。
1997年、98年、99年、アメリカ合衆国 カンザス州スペンサー美術館、イリノイ州フィールド美術館、オハイオ州コロンバス美術館において「日本の田舎のかご職人展」スミソニアン竹細工巡回展開催。
(日之影町史 10 別編二】p281参考)
1995年、日之影町の竹工芸品の製造技術・技法の保存及び伝承を目的として「日之影町竹工芸保存会」が発足。1999年は飯干五男氏が会長をつとめている。(日之影町史 10別編二】p142参考)
2007年、廣島一夫氏より日之影町に50種163点の竹細工が寄贈される。
2008年、日之影町竹細工資料館が開館。その163点の竹細工が展示され、職人の巧みな技術と誇りとともに、日之影町の大切な伝統を多くの人々に伝え続けている。
資料館オープン時の様子

プロフィール

廣島一夫氏

廣島一夫氏(1915年〜2013年)

  • 1930年(15歳) 工藤正則氏に弟子入り
  • 1933年(18歳) 独立して樅木尾に移る
  • 1975年(60歳) 飯干五男氏に出会い、「かるい」制作方法を学ぶ
  • 1981年(66歳) 日本民間工芸賞を受賞
  • 1984年(69歳) 宮崎県伝統工芸士に認定される
  • 1992年(77歳) 国の卓越した技能者表彰「現代の名工」を受賞
  • 1995年(80歳) スミソニアン協会サックラー美術館「日本の田舎のかご職人展」講演会のため渡米
飯干五男氏

飯干五男氏(1928年〜2017年)

  • 1943〜44年(15〜16歳) 父親から竹細工の手ほどきを受ける
  • 1947年(19歳) 小倉陸軍工廠・日田を経て帰省。本格的に竹細工を始める
  • 1969年(41歳) 日本民芸公募展に「かるい」を初出品。伝統技術優秀賞受賞
  • 1971 〜 73年(42 〜 45歳) 日本民芸公募展で受賞
  • 1984年(56歳) 宮崎県伝統工芸士に認定される
  • 1992年(64歳) スミソニアン博物館での実演のため渡米
中村憲治氏

中村憲治氏(1951年〜2007年)

大学を卒業後、名古屋の企業に就職していたが、母親の急死で日之影町に帰郷。実家の食料品店と柚子からしの製造販売を行う。サラリーマン時代に見た飛騨高山の民家資料館をヒントに竹細工の保存と発信に立ち上がり、飯干五男氏と廣島一夫氏に竹細工の制作を依頼。ジャパン・ソサエティの南日本工芸旅行団一行が日之影町を訪れたことをきっかけに世界へ作品の発信に尽力し、アメリカ合衆国のスミソニアン協会国立自然史博物館やイギリスの大英博物館、宮崎県総合博物館に収蔵される事になった。その活動が実を結び、日之影町竹細工資料館の開館へと繋がった。

日之影町観光協会

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