一般社団法人 日之影町観光協会

日之影町の由来

三毛入野命が鬼八退治に高千穂に向かわれているとき、鬼八は神通力で大雨を降らせ進路を阻もうとした。

命はお怒りになり「雨は止まないか」と空を仰いで天津(あまつ)神(かみ)にお祈りになった。

すると今まで降りしきっていた雨も、はたと止んで「日の影」が射し始めた。

川の水も見る見る減って、易々と川を渡られた。その時呼ばれた名を今に残し、この地を「日之影」と呼ぶようになったと伝わる。

※「十社大明神縁起」という文献に下記あり

『日向の襲(そ)の二(ふた)上峰(がみだけ)の千々が岩屋なる悪鬼退治の御出陣にて、丹部左大臣・富高右大臣両家を先として、以上その数45人なり、猿田彦命の御導きにて悪鬼退治の御出陣。高千穂と延岡の境に綱の瀬川と申す所に船渡りあり、此所にて大雨大洪水出、渡しなくして、その時神議(かみはか)りに諮り給いて、大綱を張り45人以下の人々御心易く渡らせ給うなり。

これより高千穂の内なる七折日の影川にて、一天俄(にわ)かにかき曇り、御心易く、天の御蔭(みかげ)日の御蔭と仰せられ給いけり、今に日の蔭川と申すなり。

次に宮水村にて大雨しきりに降る。此所に大楠一本有り、此のもとにお立ち寄りますなり。雨宿り給う故に、則ちかの大木のもとを雨社大明神と名付け奉るなり。これ則ち十社大明神降臨の社なり。

次に波瀬村にてその近在の人等皆出迎えし奉る。ここを平岩と申し今にあるなり。彼の平岩に御腰を掛けさせ給いて、一々に家名実名御改めあるなり。則ち名字大明神これなり。則ちこれも十社大明神降臨の社なり。

次に一の水村にて清水流れ出るなり。その御時に三毛入野命この清水を召し上られ、その御供の家臣等に向かわせ給い「一の水」と宣い、今に一の水村と申すなり。この時四十九体妙貝と申し奉る。これも則ち十社大明神降臨の社なり・・・・』

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